『Gakucho Meet』

教育支援・国際交流推進機構教員編(令和2年12月)

新型コロナウイルス感染症の影響により開始したオンライン授業の状況は?

学長:

 教育支援・国際交流推進機構の先生方は共通教育や教養教育を担当されており、ポストコロナの共通教育・教養教育の形がどうなるかをお伺いしたいです。オンライン授業が出てきて、人間の素養を形成する教養教育が単純なコンテンツになってしまうのではないかと心配しています。

参加者A:

新型コロナウイルス感染症が急に広がり、3月末に授業開始を2週間延ばし、オンライン・オンデマンド型という話があった時に、まったく想定していない状況でどうするのかということが当時ありました。それまでオンラインでの教育経験はありませんでした。他の先生と一緒になってどうしたものかと検討することが第一歩でした。特に語学の場合は、ある程度インタラクティブの形でないと難しいだろうということでZoomを使って始めてみました。Zoomにはいろんな機能があり、やってみると思ったよりも、スムーズにできました。

学長:

 オンラインであると、どのようなことがよくないのでしょうか?対面授業よりもいいところはどこですか?

参加者A:

 対面には閲覧性があります。学生がどこで何をしているのか、パッと見てわかりますし、教員もぐるぐると教室を回りながら指導ができます。また、教室の中で困っている学生がいれば、そこへ行って助けを出すことができます。オンラインの場合、Zoom機能では、それぞれの部屋に行かないと何をしているか分からず、閲覧性はありません。この点では対面の方が勝っていると思います。反対にオンラインでよかったと思うのは、問いかけと反応が、やり取りが、スムーズであることです。

 対面も、オンラインも、よいところと悪いところがあり、それを見極めながら、ポストコロナに向かっていくと思います。また、学生にとって一番いい形式になればと思います。学生アンケートを取ってみると、オンラインは評判が悪いかと思いきや、そうでもありません。従来、大学は場所に縛られますが、オンライン授業は場所に縛られることなく参加ができ、今後、新たな地方大学の在り方が生まれるのではないかと思います。

学長:

 参加者Bの分野からオンラインはどうですか?

参加者B:

 オンライン授業では負荷を考慮して、顔は出しておらず、質問のある人が許可を取って音だけ出してくださいということにしています。そのため、顔が見えないところがオンラインのマイナスポイントかなと思います。毎回、私の授業ではリフレクションといって授業についての意見や感想、自分の考えをアンケートみたいなもので実施しています。実施にはe-ラーニングのアンケート機能を使っています。コロナ禍でオンライン授業をしなければ使わなかった可能性があります。非常に便利です。

学長:

e-ラーニングで学生の反応が分かるのですか?どういう感じですか?

参加者B:

 毎回学生に文章を書き込んでもらっているため、反応が分かります。授業のまとめもあれば、授業の批判やここがおかしいのではないかといった意見があります。私の方で意見をピックアップして、授業の前半にインタラクションとして紹介しています。

参加者C:

私は、学生の時に、海外の授業をオンラインで受講したことがあり、ZoomやSkypeで授業を受ける方法を経験しました。その経験があるからこそ、自分がオンラインで授業をする時には、先生にこうしてほしかったというものを考えながら、授業をしています。また、学生は英語を話す機会が少ないため、英語での意見交換などの話し合いやグループワークを実施していかないと、外国語の学びにはならないと考えています。オンラインの方が家での参加という点で、たくさん話すことができるかもしれませんが、社会に出て学んだことを活かせるかどうかという心配があります。キャンパス生活、クラスメイトや先生と触れ合うことは必要があるのではないかと思います。


語学の10年後20年後はどうなっていくのか?

参加者A:

10年後、20年後先のことを考えて、個人的に思うのは、テクノロジーの進化によりグーグル翻訳やスマホの簡単な翻訳機能から、さらに進んだ場合、日本語を話すと相手には英語で話すという時代が遅かれ早かれ来るかなと思います。

運動を例に考えると、運動そのものについては100年前と変わりませんが、現在はジムといった新しい形式において、運動の価値が見出されています。同様に、言葉そのものの価値についても、変容して、できるだけ若い人にフィットした付加価値を持って、機能性を高めていくものなのかと考えています。

参加者C:

外国語を学ぶ目標は変わらないものであると思います。生の英語が聞こえる機会が増えてくると、翻訳機能を使うことよりも自分で外国へ行ってみたいというモチベーションが高くなるのではないかと思います。自分が話せない言語の国に行った場合、最初は混乱しますが、自分で話して相手に通じたという喜びを感じることでモチベーションが高まります。だからこそ、翻訳機能は勉強のツールの一つでありますが、人間と人間の会話の代わりになるものではないと思います。



教養教育の必要性をどのように考えるか?

参加者B:

 将来的に、教養は語学やテクノロジーのような進化はなく、科学技術の発展がモチベーションに繋がることも少ないと思います。しかし、コロナ禍のような社会の情勢によって、教養教育が見直されることはあるかと思います。教育する場において、学生に勉強するモチベーション、やる気をいかに持たせ、学問の世界とコンタクトを取るかということを手探りでやっています。学生が普段触れているような、小説やドラマなどに触れると、もっと教えてくださいという話が出てきます。

参加者A:

教養は何ぞやと考えたのは、個人的なことですが、精神的に堪えた時でした。その時に人間は何のために生きて何のために死ぬのかというところを哲学や宗教学などを勉強しました。そこで、人間が普遍的に接する諸問題、学生が今後生きていくうえで向き合わなくてはいけない問題に対して考える枠組みが教養なのではないかということに気づき、必要性を感じました。

学長コメント 若い教員との会話の中で印象に残ったこと、共感したこと~

 機械による翻訳機能がいくら向上しても、自分で話して外国の相手に通じて、コミュニケーションがとれる喜びがある限り、語学を学ぶ必要性は残ります。学生が今後生きていくうえで向き合わなければならない問題に対して考える枠組みが教養であり、身近にあるテーマを多方面から考えさせることで教養は身につけられると思います。